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2012.02.02

CONTEMPLATION : Emerging Female Photographers from Japan

Contemplation アメリカインディアナ州ブルーミントンのpictura galleryにて『CONTEMPLATION : Emerging Female Photographers from Japan』というグループ展に参加します。
ここからは遠いですが、もしお近くに行く機会などございましたら是非お立ち寄りください。


会期:2月3日(金) 〜 3月31日(土)
出展作家:高橋あい 多和田有希 村上友重 頭山ゆう紀
アーティストトーク:3月8日(木) 19時〜
会場:pictura gallery
   122 W 6th St Bloomington, IN 47404 USA
HP : http://www.picturagallery.com/


以下プレスリリースより


写真は基本的に目に見えるものしか写さない。しかし、時計の針があるからこそ私たちが一方向的な時の流れを認識するように、写真があることによって人は逆説的に目に見えないものの存在をより強く認識することができる。その目に見えないものとは、たとえば集団的・個人的な記憶や欲望、感情、時の流れなどである。写真家の重要な役割の一つとは、目に見える世界を記録するという以外に、そのような目に見えないものを凝視し熟考するための場を作り出すことにあるといえるだろう。ここに登場する4人の写真家たちは、それぞれの方法で目に見えないものに目を凝らそうとしている。

村上友重は、霧や雲などが織りなすエフェメラルな光景に着目することによって、見えるものと見えないものの境界にたたずむ。多和田有希はいったん撮影した写真の表面を消しゴムなどで削り取ることによって、群衆や街を凌駕する目に見えない大きな力との共存関係を目に見えるものとして暴き出そうとする。村上が写真の限界をその内側からなぞろうとしているのに対して、多和田はそれを外側から指し示そうとしているとも言えるだろう。頭山ゆう紀が日常の中で撮影した写真の中では、誰もが他者を強く求めながらも孤立しているように見える。そこから浮かび上がるのは、ときには当人すらその存在を認めようとしないような、人間をとりまく深い闇の存在である。一方、高橋あいは都市から離れた村とそこに暮らす人々の姿を撮影することを通じて、ひとつの空間に過去から未来へと垂直に流れる長い時の流れを静かに照らし出している。

今回の展覧会タイトル「Contemplation」は、「見るという行為」を意味するラテン語の「contemplatio」に由来している。さらにこのcontemplatioの元となったcontemploは「注意深く見つめる、観察する」を意味するが、元々は「(卜占官がするような)観察のための場を画す」という意味であった。これらの4人の写真家たちもまた、人間を取り巻く様々な目に見えないものを観察しようとする。彼女らの作品を前にしたとき、その先には途方もなく広大な世界が広がっていることを私たちは身をもって知り、自分たちがどこから来てどこへ行くのかを改めて考えさせられることになる。

竹内万里子
ジェームス・中川